①日向坂46ストーリー最高でした・・・ 【長濱ねる編】【内容 感想】
こんにちは!坂道のいいちこです。ひとつよしなに。
今回は「日向坂46ストーリー」を読んだ感想を内容とともに書いていきます。
全体の流れとしては、けやき坂46結成~日向坂46への改名までをメンバー一人一人にスポットライトを当てながら進んでいきます。35のパートに分かれているので区切りが良く、めちゃくちゃ読みやすかったです。というか、メンバーのその時感じていたことがリアルに描かれているので面白くてどんどん進んじゃいます(笑)総ページが363頁あり、一人一人について描いていったらきりがないのでメンバーを絞って書いていきます。
(敬称は略で、すみません)
まずは、長濱ねるから。もともと知っている内容も多かったのですが、やはり一人だけ特別扱いされたことによって、他のメンバーとの不和があったのですね。米谷は長濱に対して、
「ごめんやけど、私、仲良くなられへんと思う」
と、告げたそう。米谷自身、学業との両立を条件として必死に頑張り、つかみ取った合格でしたから、納得できないのもわかります。
この発言にショックを受けた長濱でしたが、二人を結びつける出来事が起こります。2016年1月に開催された「新春!おもてなし会」で共に活動した演劇部でのことです。本番当日まで話す機会を見いだせずにいた二人でしたが、初の舞台に緊張して涙を流す長濱に対して米谷は、
「頑張って!」
と、一言。この言葉をきっかけに、二人に雪解けが訪れます。米谷は「仲良くなられへんと思う」とつげたことを謝罪し、二人の距離は急速に縮まることに。ここら辺は「本当に女の子ってすごいなあ」と唯々感心しました(笑)
このあと2016年2月、「サイレントマジョリティー」のMVには参加できなかった長濱ですが、撮影に取り組むメンバーへの献身的なサポートをしていたそう。そんな彼女の温かさに、欅坂のメンバーも自然と彼女に寄り添うようになっていったようです。
そんな彼女の頑張りもあって2枚目シングル「世界には愛しかない」から欅坂とけやき坂の兼任を任されるように。しかし、2つのグループを行き来する彼女のスケジュールは多忙を極め、本人も限界が来ていたそう。そこで2017年9月、兼任が解除され漢字専属に。ご存知の通り、2019年7月30日「ありがとうをめいっぱい伝える日」にて卒業となりました。
彼女にどのような心境の変化があって卒業を決意したのか、詳しくは述べられていません。ちなみに彼女自身、卒業については「日向坂46デビューカウントライブ!!」で、かつての仲間たち(けやき坂1期生)へと公式発表前に伝えていたそうです。けやき坂が日向坂となり華々しくデビューを飾ったという事実が、彼女の存在を肯定してくれるものになったと述べています。
「ああ、私は確かにひらがなけやきっていうグループにいたんだ。そして私がいたひらがなけやきは、こんなにたくさんの人に愛されるグループになって、日向坂46としてデビューできたんだな。ずっとみんなに支えられてばかりだったけど、私がアイドルになった意味はここにあったんだ」
うーん、切ないですよね。正直、彼女が欅坂へ不満をもっていただとか、いじめがあっただとかは噂の域を出ず、僕たちは推測するしかありません。
しかし、たった一つの事実として長濱ねる本人が、満足して活動を終えられたと感じているなら、僕たちファンにとってこれ以上ないことだよなあと思います。僕たちファンには彼女たちの幸せを定義することはできないからこそ、タラレバの理想論をぶつけるのはやめよう!と考えさせられましたね(笑)
「まじめだな、つまんねーな!」と思われたかもしれませんが、かたじけない(笑)
今日はこの辺で。アディオス!